雑記

科学は宗教として一番オススメである【質問箱に回答】

質問箱で頂いた質問です。質問くださってありがとうございます!

長文になってしまったので、ブログで回答させてください。

超潜在意識、チャクラ、瞑想など、宗教的なものについての意見をお聞かせください。 先日、そういったことを無料で勉強するサークル(社会人もいるみたいです)に勧誘されまして

こういう勧誘って本当にあるんですね…!家から出ないので、全然されたことないです。

結論からいうと、「少しでも怪しいと思ったならやめとけ!」です。

実は私は、「宗教的」であるという理由だけで何かを拒絶することはしません。それが合理的なものであれば、世間一般では「非合理的」とされているものであっても、「良いんじゃないですか?」と思うことがあります。なので、占い師に頼るのは実は合理的なんじゃないか、みたいなことを思ったりもします。

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しかし残念ながら、「宗教的」という理由では拒絶はしないものの、結局は却下されるということがかなり多いです。例としてあげていただいた「超潜在意識」や「チャクラ」は、私の中では「却下」です。

もっとも、「瞑想」だけは「採用」をしています。なぜこの違いが生まれるかというと、実は私は「科学」という宗教を信じているからです。

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「宗教」とは一体なんなのか?

科学は宗教じゃないぞ!!!という科学者からの罵声が聞こえてきそうですが、待ってください。「宗教とは何か」「宗教の定義は?」という問いには、今まで数々の宗教学者やそうでない人々によって色々な回答が出されてきました。当然、私にも私なりの定義があります。

私の定義する宗教というのは、「宗教 = この世の捉え方に関する仮説」です。

例えば、キリスト教においては、この世界のことを以下のように捉えています。

初めに、神は天と地を創造された。(創世記1:1)

(中略。七日間かけて神が世界の色々を作る。)

こうして、天と地と万物は完成した。(創世記2:1)

神は行われていたその業を七日目に完成された。そして行われたすべての業を七日目に休まれた。(創世記2:2)

神はすべての創造の業を七日目に休まれたので、その日を祝福して聖なる日とされた。(創世記2:3)

これが天地創造の経緯である。(創世記2:4)

この世界は、神が七日間かけて作ったものだ」というのが、キリスト教が唱えている「仮説」です。このような「仮説」を、私は「宗教」と呼んでいます。

その意味において、実は「科学」も同じく「宗教」です

科学の科学”らしさ”を構成するものの一つに、「再現性」というものがあります。これは、「適切な方法をとれば誰がやっても同じ結果になる現象を、科学的に妥当だと認めよう」というものです。

例えば、塩酸と水酸化ナトリウム水溶液を適切な量まぜ合わせると、塩化ナトリウム(食塩)ができます。この現象は、誰がやっても同じ結果になります。適切な実験手順に従ってさえいれば、「鈴木さんは出来たのに、西園寺さんには出来ない」なんてことは起こり得ないはずです。これが、再現性です。

しかし、この「再現性」には、一つの仮説が含まれています。それは「今までの世界で通用していたことは、これからも通用する」という仮説です。

なぜこれが仮説かというと、例えば今これを読んでいる5秒後に、世界の法則全てがひっくり返るという可能性を、否定はできないからです。突然あるときから、塩酸と水酸化ナトリウム水溶液を混ぜようとしたら爆発するかもしれませんし、東から昇った太陽が西から昇るかもしれません。今までそうだったからといって、これからもそうであるという保証はないのです。

とはいえ、「そんなことあるわけないじゃん」とお思いでしょう。私もそう思います。つまり、ここでは私たちは一つの同じ仮説、「今までの世界で通用していたことは、これからも通用する」を信じている仲間だということです。私たちは同じ宗教の信徒なんですよ!

科学が宗教として優れている点

ローマの異端審問所で異端審問を受けるガリレオ

その上で、科学が宗教として優れている点は、ほかの宗教と比べてものすごく「謙虚」だという点です。科学は、「分からないときは分からないと素直に言うし、間違っていた場合は間違いをちゃんと認めて反映させる」という機能を内蔵しています。これは他の宗教には(おそらく)ない傾向です。

例えば、中世のカトリック教会は、「全てのことは神によって説明できる」と信じ、昔の聖書とこれまでの教皇の判断をもとに、「本当は全く分からない」分野であっても、「神のもと」に判断してきました。その昔、ガリレオガリレイが地動説を強く主張するまで、天動説はこの判断によって支えられてきました。カトリック教会は別に天体現象について詳しかった訳ではないのですが、これまでの経緯を元に「天動説が正しい」と言い続け、これに対抗する地動説派の存在自体を否定したのです。

その点、科学は謙虚です。現代の科学において、「天動説が正しい」と主張することは、変わり者扱いはされるでしょうが、存在は否定されません。これに対する科学の態度は、「そうなのかもね、じゃあ議論しよう」というものです。もし、この世界の天体現象を、天動説を使って地動説よりも上手に説明できたら、科学は「今までの地動説は間違っていたかもしれない。天動説が正しそうだ」と認めるでしょう。科学には間違いを素直に認め、正しいものに更新していく謙虚さがあるのです。

洗脳は、後戻りできない

さて、「超潜在意識」や「チャクラ」について考えていきましょう。

例えば、次のような質問に対して、科学と新興宗教はどのように答えるでしょうか?

質問「言われた通りにやったけど全然効果がないよ!超潜在意識とかチャクラとか、そんなもの、本当は無いんじゃないの?」

科学の回答:「無いかも。有ると感じた人と、無いと感じたあなたに、一体どんな違いがあるのかを調べよう」

新興宗教の回答「あなたの信心が足りない。修行を積みなさい

もう一問いきましょう。

質問.「確かに最近いいことが起こったよ!でもこれ、本当に瞑想のおかげなの?単なる偶然じゃないの?」

科学の回答:「偶然かも。瞑想をした人としてない人で比べて調べてみよう」

新興宗教の回答:「お か げ で す 。もっと修行を積みましょう」

謙虚さの有無が、回答に大きな違いをもたらしているのがわかるでしょうか。つまり、既存の仮説について「疑問」や「批判」をぶつけた時に、大真面目に検討してくれるのが科学、ぶつけた人のせいにするのが新興宗教です。そして、この「ぶつけた人のせいにする」という性質が、「ハマったら後戻りできない」という別の性質を生み出しています。

例えば、カルトの信徒10人組と1週間暮らしてみるとしましょう。その集団においては、カルトの教えに従うことのみが善であり、それ以外は悪だとみなされて徹底的に罵倒・攻撃されます。思い出してください―ここには、科学が認める「疑問や批判をする自由」はありません!

最初の数日間はまだ人間としての気力が残っているでしょうから、あなたもまだ抵抗できるかもしれません。しかし人間は、長期間ずっと回避困難なストレスに晒され続けると、それを回避しようとすらしなくなります。いわゆる「学習性無力感」と呼ばれている現象です。いずれ、罵倒も当然のこととして受け入れ、カルトの教えに自ら進んで従うようになるでしょう。このようにして、カルトはマインドコントロールを完成させます

この段階にまでなってしまうと、独力でマインドコントロールを脱することはものすごく困難になってしまいます。多くの場合、洗脳の過程で、自分の過去が思い出せるものを全て捨てるように要求されます。これは、洗脳の途中において、ふとしたときに過去の体験を思い出すことで、マインドコントロールが解けてしまう可能性があるためです。洗脳が完了する頃には、正常だった頃の自分を思い出すことすらかないません。一度洗脳にかかった人間がそれを解くにはものすごく長い時間が必要です。(オウム真理教によって洗脳された人々は、そのマインドコントロールが解けるまで十数年間かかり、今でも後遺症があります。)

もしその段階で、「これは神秘の壷だ。たった65万円だよ」と言われて、それを買わない人はいないのです。洗脳済みのひとにとって、この売り文句に対して取りうる行動は2つ。「神秘の壷を65万円で買う」か、「自らの洗脳をとき、65万円を払わない」の二つです。しかし、洗脳をとくという十数年に渡る苦行をするよりも、65万円払ったほうがその状態では楽になってしまいます。そうやってカルトにハマった人々は経済的に搾取されていきます。そして、経済的搾取に止まらず、通常では考えられない非人道的行為に手を染める危険性もあります。

 

 

********地下鉄サリン事件を忘れるな。「自分は騙されない」が一番危険だ。********

 

 

おわりに

こうした洗脳は後戻りできません。そして、人間は思ったより説得されやすいです。

少しでも「気持ち悪いな」「怖いな」と思ったら迅速に携帯番号を変えて逃げましょう。

こうした人々が「信仰のご褒美」として示す効果は、科学でも説明できるかもしませんし、ほとんどの場合、科学の方がお金もかからず洗脳もないです。

もしそれでも気になるなら、科学でそれらが検討されているかを調べてみましょう。実は、「瞑想」に関しては科学においても検討されていて、「一定程度効果がある」という報告も、「効果は認められない」という報告もされています。個人差はどうしてもあるので、自分に瞑想が合うかの実験をしてみましょう。実験のしようがない「超潜在意識」や「チャクラ」はこの点から却下です。

(それでも何かの宗教チックな香りに憧れがあるなら、「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」に入りましょう。金曜日に麺類を食って、アーメンの代わりにラーメンと言うだけのやる気のねえゆるふわ宗教です。)

あなたの人生に幸あれ! ラーメン