雑記

占いはくだらないのか?を経済学的に考察してみる

占い師なら、何と声をかけるか?

大学1年生の頃、私は渋谷のネカフェに住んでいた。その入り口の前のところに、占い師のおっさんがいて、毎日誰かを占っていた。23時の渋谷、周りの区域は当然のごとくゲロにまみれ、治安が悪かったが、なぜだかその占い師の前の客は、酩酊しているわけでもなく、非常に思いつめた表情をしていたことが多かった。

占いに頼る人って、もしかしたら合理的なのかもしれない

そう思いながら、ネカフェの受付で8時間パックのフラットシートを予約した。

 

 

占いの類は今まで信じてこなかった。小学生の時に見ていた朝の情報番組は、天気予報は多少信頼することはあっても、星座占いの類は鼻で笑っていた

自分の誕生日が―ちなみに12/31なのだが―含まれるやぎ座が最下位になろうと、「だからなんだよ」と笑い飛ばした。

占いが本当に信用できるとしたら、国民全員が信じているだろう。ラッキーアイテムがメロンパンですと言おうものなら、国民の約12分の1が全員メロンパンを買って、国中のパン屋が大混乱に陥るだろう。

でも、通学路にあるパン屋さんのショウウィンドウを見る限り、いつもメロンパンは余っていたから、ほとんどの人は信じていないのだと思った。これはこれは珍しいことに、私も多数派だ。

 

しかし、教室内だとまた別の様相だった。

「手相」については、割と多くの女子が信じていたのである。

小学生ながらもこの点は非常に疑問だった。

なぜ朝の星座占いはあまり信じないのに、手相は信じるのだろうか?

 

 

そんな小学校の頃の疑問も忘れ、大学受験をする年齢になった。

私の脳には、「判断の難しい問題」が重くのしかかっていた。

実は高校1年生の頃、東大受験をする意思は固まっていたものの、藝大に行くというのも選択肢にあった。作曲はその頃からぼんやりと好きだったし、それを極めるという選択肢も全然ありえた。ただ、自分に「音楽的才能」があるかどうかが、当時もっとも頭を悩ませた点だった。

(後になって、「音楽的才能」がなくとも作曲家として生活している人がたくさんいることを知ったが、当時の自分はそこまで視野が広くなかった。)

もし音楽の道に進んだとしても、自分に「音楽的才能」がなかった場合、藝大に行っても周りの才能に押しつぶされて鬱になって死んでしまうだろうと思っていた。藝大に行った時のメリットが一定確率にあったにもかかわらず、それなりに多めに存在するデメリットの確率に物怖じしたのである。

結局、「もし才能がなかった時に備えて東大に行こう。東大でも作曲はできるはずだ」という結論を出すのに、一ヶ月近くを要した

その間の精神状態は、「東大に行ったら藝大にいけないし、藝大に行ったら東大にいけない。こうなったら両方いかなくていいんじゃねえの」という支離滅裂なものだった。

 

 

この精神状態は私だけかと思っていたが、同級生も同じような体験をしていたらしい。

その人は東大に行くか、少しランクを落とした私大に行くかを悩んでいた。どちらも魅力的な選択肢だが、出題範囲が結構違うため、両方の大学を対策すると学習すべき範囲がバラけて合格確率が二つとも下がってしまう

できるだけ早い段階で、勇気を持って一方のみに絞るべきだった」と本人は語っていた。

その年は東大に落ち、私大には受かった。

しかし合格発表後の迷いによって、「やはり東大に行きたい」と思い直したそうだ。私大に払った入学金を見殺しにし、東大合格のためにもう一年を捧げた。

結局は東大に行けたし、浪人した一年も無駄にすることなく過ごしたのだと思うが、「選択肢を早めに選んだかどうか」だけで1年分の差が出るという事実は、深く考えてみるべき点だろうと思った。

 

 

ここで、タイムマシーンがないことは承知で、こんな問いを立ててみたい。

 

もし私が、占い師の格好をして過去にいき、過去の私、もしくは過去の友人に声をかけるとしたら、何と言うべきだろうか?

 

おそらくその答えは、「あなたなら東大に合格する。ただし、今から行動したら」だろう。

きっと人間は、あまりにも重大な二択を迫られた時、思考がテンパり、「どちらも選ばない」という精神状態になるのだと思う。正確に言えば、「どちらかを選ぶとどちらかを失うので、どちらも選べない」というパニック状態だ。

この状態を、簡単なゲームの形式(と言っても、遊ぶゲームではない。経済学的な思考実験の意味での、ゲームである)で表してみよう。

人生の選択ゲーム

人生の二択に迷えるプレイヤーは、以下のルールに従って選択を行う。

 

Rule.1:プレイヤーに与えられた選択肢は、「Aを選ぶ」「Bを選ぶ」「どちらも選ばない」。

Rule.2:Aを選べば 5 点,Bを選んでも 5 点が手に入る。

 

この時、最高得点をとるにはどうすればいいだろうか?

正解は、単にどちらかを選ぶ。5点手に入って、これが最高得点である。

 

ただし、ここに先ほどの「思考停止の条件」を入れたらどうだろうか。

 

追加Rule.3:プレイヤーは以下の判断基準によって選択する。

判断点数 = (選んだ肢の得点) – (選べなかった肢の失点) とし、

判断点数が最大の選択肢を選ぶ。

 ただし、「どちらも選ばない」と同点の場合、「どちらも選ばない」を選ぶ

 

具体例を入れよう。

プレイヤーは各選択肢についてこう評価している。

Aを選ぶ: Aを選んだ得点:5点 – Bを選べなかった失点:5点 = 0

Bを選ぶ: Bを選んだ得点:5点 – Aを選べなかった失点:5点 = 0

どちらも選ばない: 0

→よって、プレイヤーは「どちらも選ばない」を選択する。

 

このゲームにRule3が追加されたことで、先ほどの「どちらかを選ぶとどちらかを失うので、どちらも選べない」現象が再現されている。

このゲームにおいては、いつまで経っても選んだ方の得点と選ばなかった方の失点が同じなので、プレイヤーは永遠に「どちらも選ばない」。

占い師の効果

さて、このゲームにもう一人のプレイヤー、「占い師」を入れてみよう。

 

追加Rule4:「占い師」は、どちらかの選択肢をランダムに選び、プレイヤーの判断点数を+1追加する。

 

具体例を入れよう。

例えば、「占い師」があてずっぽうに選択肢Aを選び、プレイヤーを説得したとする。

このとき、プレイヤーの判断点数は

Aを選んだ時は1点

Bを選んだ時は0点

どちらも選ばないときは0点

となる。この場合、プレイヤーは当然「Aを選ぶ」し、その結果、プレイヤーは5点を獲得する

 

占い師が入ったおかげで、プレイヤーは「どちらも選べない」状態から脱出し、一つの答えに絞ることができた。占い師がない場合は0点だった最高得点が、占い師が入ったおかげで5点に上がったのである。

もし占い師が報酬を要求してきたとしても、5点未満まで払っても良い。「どちらも選ばない」よりは確実に点数が高くなるからだ。

ここで注目して欲しいのは、「占い師」は選択肢をあてずっぽうに選んでいるにもかかわらず、実際に効果が出ているということである。占い師は「プレイヤーにとってどちらが本当に良い選択肢か」を知らなくとも、「プレイヤーが占い師を信用している」状態でさえあれば、効果を出すことができる。

 

プレイヤーに信頼された場合、占い師の仕事は簡単だ。

1.プレイヤーの悩みを聞き出し、選択肢にまとめる

2.時間を潰す。水晶玉をまじまじと眺めたり、木の棒をいっぱいこすったり、誕生日や字画を聞き出して古めかしい本からメモったりすると良い。

3.選択肢からあてずっぽうに一つ選び、「絶対にこっちの方が良いよ」的なことをいう。

4.「そうですよね!私もそう思ってたんです!」と笑顔で調子にのるプレイヤーを眺める

5.お代を徴収する

 

ここまで説明した上で、「やっぱり占い師はインチキじゃないか!将来なんて見えてないし非合理的だ!」という方だけに向けてもう一度説明しよう。

占い師はインチキ→依頼人が助かっていれば、別にインチキでも構わない

将来なんて見えていない→この場合は見えている。というより、占い師が言った方に未来が操作されている。占い師が「Aで成功する」と言えば依頼人はAへ突き進んで成功するし、占い師が「Bで成功する」と言えば依頼人はBへ突き進んで成功するからだ。

非合理的だ!そうではない。依頼人は、「自分が思考停止している」という状況を合理的に判断し、外部の人間(占い師)に助けを求め、自らの状況を改善しようとした。「思考停止」というのは自らでは制御できない事象であり、意識的に取り除くことが非常に難しい。占い師を非合理的なものと決めつけ、どちらの選択を選べずにタイムアップするより、はるかに良い選択をしている。

企業の責任配分問題

ここまで、個人が占いに頼る話を見てきた。個人では「思考停止した」状態において「占い師」が有効であると述べたが、似たような話は組織でも発生する

企業の「責任配分の不徹底」に対する「コンサルタント」の話だ。(ちなみにコンサルタントとは、企業の経営に関する課題や選択について、企業の代わりに考えて解決したり助言したりする仕事のことを言います。)

個人の時と同じように、次のようなルールでゲームを行う。今回は複数のプレイヤーによるチーム戦だ。

 

Rule1:チームは5人のプレイヤーで構成される。

Rule2:チームの選択肢は「Aを選ぶ」「Bを選ぶ」「どちらも選ばない」。

Rule3:選択肢は成功する場合と失敗する場合がある。

選択肢A,Bが成功する確率と失敗する確率、それぞれの獲得点数は

A: 成功確率:80% 点数:5点  失敗確率:20% 点数:-5点

B: 成功確率:80% 点数:5点  失敗確率:20% 点数:-5点

 

これらのルールに、「責任配分の不徹底」を表すルールを追加する。

追加Rule4:

選んだ案が成功だった場合、獲得点数はチームで5等分。

選んだ案が失敗だった場合、失点は「その案を決定した人」が負う。

何も選ばなかった場合、0。

 

 

具体例で考えてみよう。

チームの中のだれか1人が「Aを選ぶ」を選択したとする。

80%の確率でAは成功した時、

 ・チームは5点を得る。

 ・得点はチームで配分されるので、個人には1人1点が入る。

ただし20%の確率でAは失敗する。この時、

 ・「Aを選ぶ」と言い出した1人のみに-5点を入る。

 ・「Aを選ぶ」と言っていないその他の人は、0点のまま。

 

もしあなたがこのチームに入った時、最適な戦略はなんだろうか?

期待値を用いて計算してみよう。

 

もしあなたが「Aを選ぶ」もしくは「Bを選ぶ」と言った場合の期待値は、

(5/5) x 0.8 + (-5) x 0.2 = -0.2

何も言わなかった場合は二通りあり、

「どちらも選ばない」姿勢を他全員も貫いた場合の期待値は、

0

  仮に、他の誰かが「Aを選ぶ」もしくは「Bを選ぶ」と言った時の期待値は

(5/5) x 0.8 = 0.8

よって、「ずっと黙る」が正解になる。発言すると、期待値がマイナスになるからだ。

 

でもあなたと同じことを他の人も考えているだろうし、他の人も黙るので、チームは永遠に何も選ばない。結果として、期待値は0になる。

 

 

仮に、Rule4が「なすりつけあいをしない。損害は全体で被る」という方針に変わったらどうだろうか。

つまり、選んだ案が失敗だった場合、失点も5等分というルールに変わる。

この時は、個人の選択した場合の期待値は (5/5) x 0.8 + (-5/5) x 0.2 = 0.6 で一致するので、一致団結して最適の選択を取れることになる

重要なのは、「成功したらみんなのおかげ」は良いとしても、「失敗したらその人のせい」という体制をとってしまうと、チームとして最適なはずの戦略が取られなくなるということである。これが「責任体制の不徹底」の悪影響である。「成功は全体の手柄、失敗は部下の手柄」という集団は、決して勇気ある選択肢は取れない。

 

ひょっとしたら、こんなことあり得るのかと思った人もいるだろう。5人全員で決めたことなのだから、チーム1人ずつに-1するのが筋ではないかと。

確かに、それは「筋」ではある。しかし現実ではない。特に集団で物事を決定している場合、「あの人が言い出したんじゃん」と責任のなすりつけあいになるのが世の常だ。

もちろん、きっちり個人それぞれ責任を配分できそうな分野は存在する。すべてのプロセスがある程度科学的に解析でき、責任所在がはっきりするような分野(工場での生産など)は責任の切り分けが比較的容易だ。その場合、組織内での責任のなすりつけ合いは発生しない。

しかし、プロセスが解析できず、原因の切り分けができないような分野ではどうか。

例えば、広告代理店やテレビ業界などでは「何が流行るかわからない」のである。流行った時はドヤ顔で「狙いすましてたんですよ」などと言えるが、大コケした時の責任のなすりつけ合いはその何十倍も勢いが激しい。当然ながら責任は、その選択肢を決定した人になすりつけられる。明確な解析方法がないということは、その分責任を”論理的風に”なすりつける余地があるということでもあるからだ。

科学的な効果測定が導入できない分野のチーム作業では、この状態は常々起こる。なすりつけまで加味した場合、この責任ルールの導入は非常に現実に即しているはずだ。

 

 

蛇足かもしれないが、「成功は上司の手柄、失敗は部下の責任」といったブラックな体質の場合も考えてみよう。Rule4は以下のようになる。

追加Rule4:

成功した場合は選択肢を選べる上司に5。残りの部下4人には0。

失敗した場合は上司は0。残りの部下4人が-5/4 = -1.25

 

この時、部下の期待値は 0 x 0.8 + (-1.25) x 0.2 = -0.25 、必ず「選択しない」を選ぶ。

上司の期待値は 5 x 0.8 + 0 x 0.2 = 4なので、必ずAかBかを「選択する」。

しかしこのままでは、上司が良いというだけで部下にはメリットがないため、計画が進まない。そこで上司は、部下を動かすために二つの選択肢がある。

選択肢1:自分の取り分を少しだけ部下に分ける。0.3125以上分け与えれば、その部下の期待値が0以上になるので、選択するを選ぶだろう。

選択肢2:「選択しない」を選んだ部下に対して、-0.25以下の失点を与えるぞと予告する。この場合、選択しないよりも上司の決定に従ったほうが点数が高くなるので、選択するを選ぶだろう。

有り体に言えば選択肢1は賄賂、選択肢2は脅迫である。

特に、「成功は上司の手柄」を責任体制としてとっている以上、選択肢1は考えづらく、選択肢2の脅迫が取られることが多くなるだろう。

日大アメフト問題で言えば、「潰すので試合に出してください」が選択肢1、「やらなきゃ意味ないよ」「できませんでしたじゃすまされないぞ」が選択肢2にあたる。

「成功は上司の手柄、失敗は部下の責任」の体制は、賄賂か脅迫なしでは成立し得ない。

コンサルタントの効果

さて、救世主の登場だ。

現実に多く存在するなすりつけあいの環境に対応するべく、「コンサル」を投入しよう。コンサルは以下の追加ルールに従う。

追加Rule5:選択によって得られる期待値の40%を「成功しても失敗しても受け取る」代わりに、失敗した時の責任をとる。

 

この時、チーム全体、各個人、コンサルの期待値を見てみよう。

コンサルの期待値は、

(5 x 0.8 + (-5) x 0.2) x 0.4 + (-5) x 0.2 = 0.2

各個人の期待値は、

(5/5 x 0.8) – 1.2/5 = 0.56

チーム全体の期待値は、

5 x 0.8 + 0 x 0.2 – (5 x 0.8 + (-5) x 0.2) x 0.4 = 2.8

全ての期待値が正なので、この体制は成立する。

 

良い選択肢を持っているのに適切な責任配分が取れない組織にとって、コンサルを導入することは合理的である。責任をすべてコンサルに押し付ければ、あとは自由に手柄を分配されるという体制は、「責任を追求されるかもしれない」という疑心暗鬼から解放されるというメリットがある。40%の報酬を取られたとしても、そのメリットを得るという選択は合理的だ。

神主効果

今までの話のように、占い師が依頼者に対して、コンサルタントが企業に対して持っている効果を、「神主効果」と呼ぶことにしよう。

もちろん、この「神主効果」は、誰にでも使えるわけではない。酩酊したおっさんが占いの依頼者に向かって

お前ぇな”ら”らららば!でぇきぃるぅぞぉぉ!

と叫んだところで、信じてもらえない。酩酊のおっさんになくて、占い師やコンサルにあるのは、「権威」である。

例えば神主。神主がお神酒を注いだり、白い紙がいっぱいはっつけてあるアレをバッサバッサやるのは、「権威」のためだ。そうじゃなかったらただの奇行である。神事を見ている人はきっとこのように考えるだろう。

「奇行でしかない行動を理性的な人がわざわざやるということは、私の知らない何か深い理由があるのかもしれない」

このような、ある種の認知的不協和を起こし人々を納得させる。この「私の知らない何か深い理由がある」というのが権威の正体である。

 

例えばコンサル。新卒で入ってくるのは選りすぐりの頭脳集団である。神主効果を考えれば、コンサルの仕事は採用の時点で半分は終了していると言っていい。

あとは、「神主」としてクライアントに乗り込み、業界知識が浅くてもそれらしいことを言い、相手に「何か深い理由があるのだろう」と思わせるべく、完璧な論理で武装したスライドを配るのだ。そのスライドが現実に即しているかどうかは問題ではない

そもそも、不確実性に満ちた世界において、確率付きの投資案を複数提示すること自体が至難の業であり、現実からはずれてしまっても仕方がないのである。それよりかは、「神主」としてクライアントを信じ込ませ、自信を与えて業務に励んでもらうことの方がはるかに大事である。

 

例えば占い師。なぜ占い師には水晶玉が必要なのか。なぜ字画をわざわざ調べる必要があるのか。なぜ手相のシワの位置を精密に見ている”風”を装う必要があるのか。なぜ惑星の位置とかいう「壮大な宇宙」を持ち出すのか。

「権威」のためには「私の知らない何か深い理由」が必要である。

私にはオカルトのパワーがついている、私にはシワからはじき出される人間像に関する深い相関の知識を持っている、私には「宇宙」がついている

そもそも占いに頼ろうという人は「占いを信じたい」と思ってきているのだから、その人が「何か深い理由があるのだろう」と信じられるものであれば、なんでもいいのだ。その人は、水晶玉の中身は見たことないし、漢字の字画が何を表しているかなんて考えたこともないし、宇宙の天体運動に関する知識なんてさらさらない。見る必要もない。自分の知らない分野の話を使って説得してくれれば、私は自信を持てるのだ。

もっとも、占い師はコンサルと同様、難しい仕事でもあることは補足しておこう。

例えばその人が自分の情報をあまり出さないタイプだった場合は大変である。その人の年齢や性別、身なりやしぐさなどから、その人がどのような性格で、どのような悩みを抱えているかを知識として持っておかないといけない。そうでなければ、トンチンカンな選択肢を提示してしまうので、「未来を当てる」ことは難しくなる。

 

そして、例えば私。これは自白だが、実は私自身も、質問箱で受験相談を受けるときに「神主効果」を使っている。だから、回答で示している解決策は、最適なものとは限らない。

「神主」としての私が持っている「権威」は、「東大に合格しているなんか凄そうな人」というものであり、「神主」を演じるには十分なものだと思う。

「最適なもの」ではないという理由は、正直、その人がどの参考書をとるべきとかどの勉強法をするべきかというのは、その人の状況の様々な要素を勘案しないと結論は出せないからである。(例えば点数や学校での支援状況、塾にいけるかどうか、本屋は周りにあるかどうか、それぞれの苦手意識、現状の生活体系、親との関係…)

でも私は実はこうも思っている。この人は単に、神主である私に「背中を押してほしい」だけであって、有効なアドバイスはそれほど求めていないのではないか、と。そのような事情と、140字の制約があるという事情もあるので、よっぽどおかしなことをしていない限り、私は「神主」効果に徹することにしている。

なぜなら、たとえその選択肢がミスだとしても、うじうじ悩んで試行回数が減るより全然いいし、「その選択肢を選んで失敗したこと」がその人の次の選択をより正確なものにするからだ。

さっさとやればさっさと失敗でき、次に進めるというのは「神主」の真の願いでもある。

 

改めて強調しておこう。”神主”に助けを求める組織や人間は、合理的な判断をしている

例えば会社組織。一人で会社の風土を変えるというのはものすごく大変な作業だ。自分にはその能力がないと素直に認めている時点で、コンサルを頼んだ人は合理的な判断をしている。最悪なのは、”自分なら風土を変えれる”と思い込むだけで、責任所在の改革もせず、会議室を不用意に踊らせ、なんの成果も得られないまま時間だけ浪費されていくことだ。自分ではどうにもならないことを素直に認め、外部の力を借りるというのは、ある意味では非常に難しく、合理的な判断である。

同じく、占い師に相談している人も合理的だ。”自分一人では責任を取るのが怖い、選択できない”ということを素直に認めた上で、責任を取る作業を他人に任せたのだ。これのどこが非合理だというのか。自分に勇気がないのに占いは非合理だと言って決めつけ、そのくせ何の選択もせずに時間だけ浪費している人よりよっぽどいいだろう。自分の苦手なことを他人に任せた上で、背中を押す言葉(ここでは占い師の「あなたこの方向だったら成功するわよ」という言葉)を胸にしっかりと秘めて毎日を一生懸命に生きる。これはこれで素晴らしい選択をしたと言えるのではないか。

おわりに

もし「神主」をお求めでしたら、質問箱にお寄せください。

力を貸します。

 

※諸説あります by けいとけー